(2002.4.16朝日新聞私の視点より )
医師を目指す君にまず問う。高校時代にどの教科が好きだったか? 物理学に見せられ たかもしれない、英語が得意だったかもしれない。しかし医学が大好きだったことはあり得 ない。日本国中で医学を教える高校はないからだ。
高校時代に物理学又は英語が大好きだったら、なぜ理学部物理学科や文学部英文学科に進学しなかったのか? 物理学に見せられたのなら、物理学科での授業は面白いに違いない。
君自身が医学を好むか嫌いかを度外視して、医学を専攻した事実を受容せねばならない。結論を急ぐ。授業が面白くないと言って、授業をサボることは許されない。医学が君にとって面白いか否かまったく分からないのに、別の理由(動機)で医学を選んだのは君自身の責任である。
次に君に問う。人前で堂々と医学を選んだ理由を言えるか? 万一「将来、経済的社会的に恵まれそう」以外の本音の理由が想起できないなら、君はダンテの「神曲」を読破せねばならない。それが出来ないなら早々に転学すべきである。さらに問う。奉仕と犠牲の精神はあるか? 医師の仕事はテレビドラマのような格好のいいものではない。重症患者のため休日の予定の突然の取り消しなど日常茶判事だ。死に至る病に泣く患者の心に君は添えるのか?
君に強く求める。医師の知識不足のままに医師になると、罪のない患者を死なす。知らない病名の診断は不可能だ。知らない治療を出来るはずがない。そして自責の念がないままに「あらゆる手立てを尽くしましが、残念でした」と言って恥じない。
こんな医師になりたくないなら、「よく学び、よく遊び」は許されない。医学生は「よく学び、よく学び」しかないと覚悟せねばならない。
医師国家試験の不合格者はどの医学校にもいる。全員が合格してもおかしくない医師国家試験に1,2割が落ちるのは、医師という職業の重い責任の認識の欠落による。君自身や君の最愛の人が重病に陥った時に、勉強不足の医師にその命を任せられるか? 医師には知らざるは許されない。医師になることは、身震いするほど怖いことだ。
最後に君に願う。医師の歓びは二つある。その1は自分の医療によって健康を回復した患者の歓びがすなわち医師の歓びである。その2は世のため人のために役立つ医学的発見の歓びである。
今後君が懸命に心技の修養に努め、仏のごとき慈悲心と神のごとき技を兼備する立派な医師に成長したとしょう。君の神業の恩恵を受けうる患者は何人に達するか? 一人の診療に10分の時間を掛けるとしょう。1日10時間、1年300日、一生50年間働くとすれば延べ90万人の患者を診られる。多いと思うかもしれない。だが日本の人口の1%未満、世界の人口の中では無視しえるほど少ない。
インスリン発見前には糖尿病昏睡の患者を前にして医師たちは為すすべがなかった。しかしバンチングとベストがインスリングを発見して以来、インスリンは彼らが診たことがない世界中の何億人もの糖尿患者を救い、今後も救い続ける。
その1の歓びは医師として当然の心構えである。これのみで満足せず、その2の歓びもぜひ体験したいという強い意志を培ってほしい。心の平安をもたらすのは、富でも名声でも地位でもなく、人のため世のために役立つ何事かを成し遂げたと思えるときなのだ。
前金沢大学付属病院院長 河崎一夫氏の投稿
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