改革とは「未知」を恐れぬことだ



- 堺屋太一氏が内閣特別顧問をしていたときのメルマガへの投稿記事である -

イギリスでは、カトリック教徒の国王を追放して、オランダから新教徒を国王として迎え入れた1688年の政変を名誉革命(Glorious Revolution)と呼んでいる。

流血の惨事なくして政治体制を改められたからだ。

 流血の惨事が少なくして大変革を実現したという点では、日本の明治維新も名誉ある改革といえるだろう。幕末には「蛤御門の変」や長州戦争、様々な暗殺事件などがあった。維新の際には鳥羽伏見の戦いに端を発する戊辰戦争があり、数千人の死傷者が出た。それでも、イギリス以外の諸外国の近代革命に比べると人的物的損失はずっと少なく、動乱の期間も短かった。

 その反面、明治維新における改革革新の度合いは、どの国の近代革命よりも徹底している。明治維新は政治体制や社会構造を変えただけではなく、行政軍事の組織から各種産業職種の末端まで、仕組みと仕方と人材と目標を変えた。

 明治維新政府の中枢を担った人々は、旧幕時代の政治家や官僚ではなかった。維新の推進力となった薩長の上層部からの横滑りでもない。中央政界にはもちろん、地方行政にさえ携わったことのない階層の出身者だった。

 同様のことは各分野で起こった。明治の軍隊は旧幕時代の軍事組織とは何の繋がりもない。大名が将軍になったわけでも旗本や家老が将校になったわけでもない。旧時代の組織や人材とは一切関係なく、新しい陸海軍を創ったのだ。

 産業経済分野もそうだ。江戸時代の金融機関、両替屋が銀行になったわけではない。全国の両替屋を廃業させ、新たに出資者を募って銀行をつくらせた。廻船問屋を助成して汽船会社をやらせたわけでも、飛脚屋に郵便事業をやらせたわけでもない。汽船は土佐の岩崎弥太郎(三菱の創始者)らにやらせ、郵便は越後出身の前島密の提言を入れて、全国一律料金切手貼りの近代事業として行った。いわば未知未経験の素人に委ねたのである。

 もちろん、金利計算も帳付けもおぼつかない人々に銀行をやらせることにも、未経験者に海運や郵便を行わせることにも、危惧と危険はあった。しかし、だからこそ、前時代のしがらみや既成の概念にとらわれることなく、理想的な近代組織と新式手法が採用できた。

 大改革は、未知と未経験を恐れず、新しい理想と素人の知恵を生かすことからはじまるものだ。明治の志士はそれを見事にやってのけたのである。


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