落合信彦「ケネディからの伝言」から

                
                                           

 

1961年1月20日アメリカの歴史上初めて43歳という若さで35代大統領となり、その2年10ヵ月後あの忌まわしいテキサス州ダラスでの狙撃によって命を落としたジョン・フィッツランド・ケネディとロス・アンジェルスのアンバサダー・ホテルでやはり凶弾に倒れたその弟ロバート・フランシス・ケネディ(略称ボビー)の物語を読んだ。

 

落合信彦はアメリカに留学後ボビーが37代大統領に立候補したときその予備選を手伝う一運動員として働いていてその惨劇を目のあたりにしたこともあり、二人に対する思い入れはかなり強いものであろう事は想像する事ができるが、それにしてもジョン・ケネディがその短い就任期間中に他のアメリカ歴代大統領がなし得なかったであろう事を数多くやり遂げた実績も然る事ながら、本来政治家とはこういった事だと知り感動を覚えた。

 

日本の総理大臣と違い(日本人共通の特性であろうが)アメリカ大統領の多くは人をつよくひきつける説得力を持っていることは承知しているが、ジョン・ケネディはその中でも図抜けたスピーチング能力を持っていたようである。

しかし当たり前ながら彼の説得力の本質は口先だけのものではなく彼の強い政治信念に基づきスピーチされたものであることは言うまでもなくその象徴的な話の一部を以下に記す。

 

1961年1月9日彼が大統領としてワシントンに移るにあたって、故郷マサチュウセッツ州の州議会で別れのスピーチを行った内容である。





『多くを与えられているものには多くが要求される。そしていつの日か、歴史と言う高貴な裁きの場で、我々が国家に対するつかの間の奉仕に於いてどれだけの責任を果たしたのかが問われることになろう。その時、四つの疑問に対し我々がどう答えるかで審判が下されるであろう。


第一に、我々には真の勇気があったか。その勇気とは単に敵に対するものではなく、必要とあらば仲間に対しても立ち向かうことの出来る勇気であり、公のプレッシャーだけではなく、私的な欲望にも立ち向かえる勇気である。


第二に、我々に真の判断力があったか。未来と過去を正面から見つめ、自らの過ちを認め、自分たちの知識の限界を知り、それを認める英知があったか。


第三に、我々に真の尊厳があったか。自らの信念を貫き通し、人々の信頼を裏切らなかったか。政治的野望や金銭的欲望のために神聖なる任務を汚さなかったか。


最後に、我々は真に国家に献身したか。名誉を特定の人間やグループに妥協せず、個人的恩義や目的のために道を曲げず、ただひたすら公共のため、国家のために身を捧げたか。

勇気、判断力、尊厳、そして献身 これら四つの要素が私の政権の活動の基準となるであろう。

恭順の念を持ってこれからの任務に就くにあたって、私は神の助けを求めたい。しかし、この地上では神の碁石は我々人間が実行に移さねばならぬと言うことを心に刻んで、私はこの新しい厳粛な旅に向かう。あなた方の支持と祈りを切にお願いしたい』

 



このスピーチは単なる美辞麗句では無く,彼の3年間の在任中ワシントンでは一度として汚職やスキャンダルが無かった。これは一つには、彼が内閣を作るにあたって人一倍の才能と人間的潔癖性を持った人間だけに絞ったためであり、ようは「才能と人格」これだけがケネディ内閣の10のポストを占める基準であったためである。

 

派閥力学と貸し借りの中で行われる日本の政治には、才能や人格などには関係なく大臣になれるのが今の政界であり(と、思われるような大臣が多かった)このような人達にまともな政治を望むべくも無い。今の日本の政治家にこのメッセージを見せたらなんと言うのであろうか、なんともやるせないような気がしてならない。

 

2002.12.30



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