偉大な建築家“アントニオ・ガウディ”の未来への贈り物


 


この大聖堂は設計図がなく彼が晩年大聖堂に寝泊まりしながらその仕事をしていたが1926年73歳の時教会に通う道すがら交通事故に会い不慮の死を遂げるまでは、直接現場の指示をしながら建築を行っていた。その後は彼が思い描いた構想をその工事に携わった人達が受け継ぎながら今に至っている。

その受け継いだ一人に現在彫刻担当主任で且つ彫刻家として実際ノミを振るい続けている日本人の外尾悦郎がいる。彼はスペインを旅行中にこのサグラダファミリアを見てぜひ自分にこの建築の彫刻をやらせてほしいと申し出一つの彫刻を刻んで見せ、それが認められて採用されたのである。

この大聖堂は着工以来すでに100年が経ち「受難の間・降誕の間」等が完成しているが今後完成までにさらに100年の年月を要するのである。ガウディの生きているときにはほとんどが内装までは進んでいなかったがロザリオの間は彼が手がけて完成したという。彼がこの建物で考えた計画上のポイントは全て単位が75cm(人間の歩幅)を基準にされているという事と最高高さが175mにとどめていることである。これは近くにモンジュウィックの丘がありこの高さが200mでこの自然を越えてはならないといった考えから設定した様である。ガウディはの基本思想は「自然が作り上げたものだけが美しい、我々はその人間が心地よいと思うものそれを発見するだけなのだ」といった考えであった。ある時アメリカの有数のホテル経営者が来てガウディにホテルの設計を依頼したところ500階建てのホテルを進言したためその経営者はあきれ果てて帰ってしまったとのことである(彼が200m以上の建築物を設計する力が十分にあったとのこと)。

大聖堂の建物にはたくさんの空間が空いているが彼はその中に鐘をつるしバルセロナ中にその音色を聞かせたいと考えていたようである。

外尾氏はこの200年に及ぶ大工事に対して「それほどたいそうなことではない、毎日少しずつ思いを作り上げてゆくだけ」又「多くの人間が力を合わせ日常を積み重ねながら未来に希望を託すこと」と述べている。  

 


《 願いを託す人がいる、それを受け継ぐ人がいる、その一人一人が思いを積み重ねて行く》 

《その一つ一つの思いは小さくても、時を味方に付ければやがてそれは大きな希望となって未来へと受け渡されてゆく、次の世代へそして・・・・・・未来に希望を託すこと、その事をサグラダファミリアは教えてくれる》

 

  〈たけしの万物創世記より〉    2000/12/2          


Home レポート集
スペイン第二の都市バルセロナに19世紀後半から20世紀前半に掛けて活躍した建築家アントニオ・ガウディがいた。彼は26歳で建築士の資格を取りまもなくサグラダファミリア大聖堂の創建者であるホセ・マリア・ポカベーリーに見いだされ1883年11月23日正式に設計主任としてこの建物に携わることになる。

この建物を設計し工事を進めていくことでその名声は上がり連日上層階級の人達とパーティなどでの交流を行うこととなるが、ある時そういった自分の生き様に疑問を持ち将来に生きる望みを無くし断食を始め、その命が危うくなったときに彼が日頃世話になっていたホセ・トーラス神父に説得されて又大聖堂の建築に復帰する。