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12:10 空港行きバスに乗り千歳空港へ、55分ほどで到着、今回の添乗員である坂本さんと始めて会い当面のスケジュールを聞く。
14:25 千歳空港発JALにて成田国際空港へ。
15:55 成田着。メルボルンへの飛行機への搭乗時間まで3時間ばかりあるためTCを購入後軽く夕食、その後荷物の受け渡し、出国審査、手荷物検査を経た後免税店でウイスキーなどを買い搭乗。
20:15 いよいよメルボルンに向け出発、10時間15分の旅。
夜食らしきものが11時近くに出てそれを食べ寝るが寝付かれずビデオを見たりうつらうつらしたりしているうちにメルボルンに到着
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7:30 無事メルボルン到着(日本時間は一時間の時差を引くと6時半となる)
空港で入国審査、手荷物とスーツケースのチェックを受け税関を通りめでたくオーストラリアに入国、いつもの事だがチェックインカウンターでは何か言われないかと不安になる。(言葉が通じれば何と言うことは無いのだろうが)
その後ツアーバスにて、カナダのモントリオール・アメリカのシアトルと並んで世界一住み易いといわれているメルボルンの市内観光、メルボルンは、市の面積の1/4が公園、市でも州でもお金があれば公園造りを行っているという。
その代表的なフィッツロイ公園を見てキャップテンクックが住んでいたという小屋を見学(ジェームズ・クック船長が1770年イギリス人として始めてオーストラリアに上陸後しばらく住んでいたという)
南半球最大の大聖堂という「セントハトリック大聖堂」を背に記念写真。
又南半球一の高さ「リアルタワー」最上階の展望台からメルボルン市内を見るが、ここで始めて太陽が北にあることが判明←ちょっとオーバーかもしれないが当人にとっては一大発見で驚き。
チャイナタウンで昼食(ヨーロッパの各地で食べた飲茶より味はよい、多分中国人の人口と歴史の大きさが他の国で食べたものと違うのだろう)
メルボルンは市街地も歩道・車道共結構広くゆったりとしている。
歩道の各所に吸殻入れが有りビルから出てきた人がそこで喫煙しているが、どのような建物も中は一切禁煙になっているとの事。
市内を走っている旧型の電車は無料(新型電車とは経路が違うらしい)
夕方早めに今日・明日宿泊の「ベイビューオンザパークメルボルン」に入りしばらく部屋でくつろいだ後、19時ホテルの食堂で夕食。
部屋もプールの上でゆったりとしていい感じ。
オーストラリアは、西欧とは違いホテルやレストランでは原則としてチップの習慣は無く、チップに慣れていない我々にとっては煩わしさがひとつ省けた感じ、これはタクシーに乗っても同じであるが、こちらでは、タクシーの乗客は後部座席ではなく運転手の隣に座るのが普通であるらしい。
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8:00 ホテルで朝食後バスにて約1時間、べルグレーブの駅に到着。
「パッフィンビリー鉄道」の蒸気機関車に乗りダンデノンの、のどかな山間と草原の丘陵地を眺めながら約40分の旅、下車後バスでしばらく走りその後山間の小道を散策、森林浴をしながら広い庭を持つティーハウスに入りケーキとティーを楽しむ。
あまり大きくも無いこの店で昨日は店のオーナーの娘(プロのミュージシャン)たちのライブを遅くまでやっていたとの事・
又メルボルンに戻りメインストリーを歩き、サラリーマン達がよく使うという食堂街で、ツアーのそれぞれが好きな店に入り昼食をとる
その後街の中を散策、ディスカウントショップらしき店に入り土産などを物色。
3時ごろ今日のオプションツアーであるペンギンパレードを見学に、ツアーバスで出発(AUS185$/1人、日本円で1$=75円として約14,000円の食事付きツアー)、途中みやげ物店に入り店で飼っている有袋類の「ウォンバット」「カンガルー」などと記念写真を撮り、6時過ぎリトルペンギンが自分の巣へ毎日帰ってくるという海岸の階段状の観覧席へ、薄暗くなってくる6時40分過ぎぐらいからボツボツ6〜10頭のグループで海から海岸に上がってくる、その後見学用に作られた通路沿いに巣へ戻るペンギンを見ながらバスへ、リトルペンギンは翌朝4時ぐらいにはえさをとりに又海へ出かけるとの事、おおよそオーストラリアらしくも無いハタラキモノー!
今日はロブスター付きの夕食、同じテーブルに同席した60過ぎの女性から日本酒を勧められ飲んでホテルに帰る。
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7:30 朝食後、メルボルン空港へ出発すべくフロントへ、チェックアウトは団体で済んでいるため1本だけ飲んだ冷蔵庫のビール(350円ぐらい)を個人精算しようとフロントで待つこと10分、前の客たった一人の精算に何の会話をしているのか知らないがまあまあのんびりと、次の客が待っているなどぜんぜん眼中にないといった感じ、他のツアーの人たちが皆バスの中で待っていることもあり、英語ができないためひたすらいらいらとした態度を示していたのだが何の効果もなし、オーストラリアの真髄「顧客より自分第一」を垣間見る思い。オーストラリアではどこでもすぐ行列ができるという、これは行政サービスでも民間サービス業でもまったく同じとの事。でもこの方がなれてくると、のんびり・ゆったりとして長生きができるかもしれない。けど日本じゃこんなことってまず無理だろう、何モタモタしとるんじゃこのバカたれが!てな感じでどやされてしまいそう。
9:00 空路メルボルンからシドニーへ、10時過ぎ出た機内食のケーキを思わずパクパクと一気に食べた(これが後々の災いのきっかけとなる)
10:20 オーストラリア第一の都市、そして3年前のオリンピック開催地に到着。
空港で我々ツアーがミーティングをしている横で、真昼間だというのに若いカップルが抱擁とキッスを延々と続けている、この国では性に対する寛容さが際立っていて、露出度の高いTV番組や街中でも若者男女のきわどい抱擁シーンなどに面食らうことが多かった。
シドニーでは売春が公認されていてその地区では、昼間からそれらしき肌もあらわな女性が街角に立っている、又この街のオックスフォード・ストリートという地域はゲイの人たちが集まる所、この地域を中心として毎年各国よりその道の人々が集う世界最大の祭典が開かれ、見物客も含めて5〜60万人の人がここに集まるという、シドニーはサンフランシスコについで世界第二位のゲイ大国。(ゲイの人はサービス業に向いているといい、結構市民権を持って普通の人と違和感無く?生活している様子)
ツアーバスにて市内観光、シドニーの戸建の屋根は州法で赤っぽい茶に統一されている。(最近は規制緩和で指定色にすると補助金が出る仕組みに改正されているらしい)
シドニーは罰金の都市、ごみのポイ捨て(タバコも含む)・洗濯物を外から見えるところに干したり・オフィスが22時まで照明を点けて置かなかったり・赤青白以外のネオンを使う等々について罰金。
シドニーに限らず都市部は港(水辺)が見える所が土地代もホテルも値段が高い。
この国も世界先進国のご多分に漏れず、最近経済が腰折れするまでかなり物価の値上がりが続き、億ションなど日本の不動産に匹敵するような価格のものが増えたようである。シドニーは特に激しいのだろうが。
(確か15年ぐらい前は日本の物価の半分で生活することができるといわれていたが)
昼食後、シドニーの代表的観光名所である帆をかたどった「オペラハウス」と「洋服かけ」の形をした「ハーバーブリッジ」に行く、ブリッジの、車が通る路面よりはるか上部の点検用通路を渡るツアーがあり、地上から見ると蟻のように一列に並んで人が歩いているのが見える。
世界の95%を生産しているというこの国のオパールの加工販売店を見学して、最初の海外移住者が到着した街「ロックス」という、再開発により開拓時代が復元されている街並みを見学。
青い海と白いオペラハウス、その向こうにはアーチを描くハーバーブリッジと、まるで絵葉書を見るようなすばらしいシドニー湾の風景を見ることができる「ミセスマッコリーズポイント」で記念撮影した後、今日明日宿泊する「ラッシュカッターズハーバーサイドホテルシドニー」に入る。
夕食まで時間がありホテル目の前にあるゴルフ場と、その横の人造湖がある公園を(人造湖といってもすっごくデカイ)1時間ほど散策、広いこの国らしく370万人の市街地の中にショートコースではなくごく普通の広々としたゴルフ場がいくつかあることに驚く。
朝、機内でケーキを食べてしばらくしてからお腹の調子が悪くなり一時期吐き気がして冷や汗が出てくるような状態があったため、今日のシドニータワーで夜景を見ながらの夕食は残念ながら欠席する。
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7:00 ホテルでの朝食は昨日の後遺症でほんの少しだけ。
あまりこのようなことは言うべきでないのかもしれないが、朝食時中国人らしきグループが来ていてあたりかまわず大声での会話、(皆が皆ではないのだが)彼らの行動は今に始まったことではなく、海外旅行をすると時々こんな場面を目にするのは私だけではないと思うが、文化の違いとはいえあれだけの歴史ある大国がどうして?といった感じ。
9:00 バスにてシドニー郊外(郊外といっても市の中心から西に100Km)、ユーカリの木々に包まれた自然の大パノラマを満喫できる国立公園、ブルーマウンテン観光へ。
ブルーマウンテンとは見渡す限りのユーカリの木々が発する油成分が太陽の光に反射し一面が青く光って見える現象からそういわれている。リトルグランドキャニオンとも呼ばれ、ユーカリで覆われた山々、渓谷そして悲しい伝説の残る奇岩スリー・シスターなどを展望台から眺め、ゴンドラで渓谷へ、散策の後、今度は昔採炭の作業で使っていたトロッコに乗り50度近くもあるという急斜面を一気に昇って展望台に帰る。
中華料理の昼食をとりその後シドニーへ。
今日の夕食はロブスターの刺身、折角のご馳走なのに今日も残念ながらお腹のあんばいがもうひとつで、ビールもワインも飲めず他の人たちが飲んでいるのを横目で見ながら寂しい食事。
オーストラリアは自然環境の厳しい国で国土の(768万Ku)1/3は人も動物も住めなく(砂漠(土漠)のよぅな状態)、1/3は牧畜のみ、残り1/3の海岸沿いに人々が住んでいる。中心風速160Kmを越す強烈なサイクロン(台風)が時たま襲い、かと思うと長雨で100万Ku(日本国土の約3倍)の湖が突然現れたり、毎年猛暑の夏には湿度10%、気温40度の中、ユーカリの油成分による自然発火その他で起こる山火事が都市にまで及び、いつも甚大な被害を受けている。
ユーカリはオーストラリアで一番多い樹木で生命力が強くコアラ(水を飲まない動物との意味)が生息しその葉を食べて生きている。
その葉に含まれている香料は人にとって癒し効果があるともいわれている。
※この国の代表的動物であるもう一つの「カンガルー」の名前の意味は「分からない」という事らしい。
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7:30 ホテルにて朝食後シドニー空港へ
9:35 シドニーより空路ブリスベンへ
11:00 ブリスベン到着後、空港荷物受け渡しのターンテーブルから取ったスーツケースを見ると、角がよほどの強い衝撃を受けたようでぼっこり引っ込み鉄板が割れている,早速ツアーガイドの坂本さんに話をしてカンタス航空に修理の依頼申請を行う。
今日は昨日までと違ってなんと暑いこと28度もあるとのことで、バス車内であわてて持ってきた半そでのポロシャツと夏用ズボンに着替える。
その後市内観光に行くが、街ができた当時のままの市庁舎は、高さ92mの時計台を持ち街のラウンドマークとなっている、そしてもうひとつのシンボル、ストーリーブリッジを見ながらマウントクーサー展望台へ、世界最大・最古のコアラ保護区「ローンパインパーク」へ行きコアラを抱いて記念撮影、次から次へと違う人達に抱かれ、睡眠を妨げられているコアラは迷惑そうだが観光資源としての貴重な役割だからしょうがないよね、広い保護区の中はさまざまなこの国の動物がたくさん住んでいて結構面白い。
昼食後ゴールドコーストへ
青い空とはるか42Kmわたってに続く白砂の海岸線、テーマパークやアウトレットもある遊びの国、そしてサーファーパラダイス、その中心部には高層ホテルやコンドミニアムが立ち並び一大リゾートタウンとしてにぎわっている。
ゴールドコーストはミニハワイのごとく上記のようにマリンスポーツが楽しめる海辺の観光地で、こじんまりとした街ではあるがその中心にはエルメスやヴィトンなどの一流ブティックやアウトレットショッピングセンターがあったり、日本の店も数多く出店している。
海辺に建つ高級マンションは日本の有名人も多く所有しているようである。
マリンスポーツもよいのだが気をつけなければいけないのは、この国の強い日差しの紫外線で皮膚癌の発生率は他の国の10倍を越している、又「人食いザメ」が多く毎年幾人かの人がサメの餌食になっているという。
6時ごろから「カビルアヴェニュー」「オーキッドアヴェニュー」などといった通りで観光客が夜でも危険のないというところを散策、DFSギャレリアという大きな免税店で土産を買った後、久しぶりで日本料理店「みかど」に入り寿司を食べる、日本人客が多いせいか味はまあまあ。(板前(寿司職人)などは日本人)
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6:00 朝食後ブリスベン空港へ
空港到着後しばらくしてスーツケースを預け、搭乗手続き、出国検査・手荷物検査を受け4〜50分ばかり又免税店めぐりをして歩き時間つぶし
8:35 カンタス航空にて一路日本へ、又9時間弱の旅。
持っていった本の残りを読みきった後しばらくするとラッキーなことにビデオで「たそがれ清兵衛」を始める、肩の凝らない内容で鑑賞後ほのぼのとした余韻を残す山田洋次監督の映画、旅の最後に結構な贈り物をもらったような感じ。
16:45 成田に到着、入国検査、荷物の受け取りなどの手続きを経た後国内線へ
18:30 成田から新千歳空港へ
20:05 新千歳に到着しツアーの皆さんと別れ、札幌行きバスへ
21:00 しばらく待った後、飛行機の到着時刻に合わせた札幌行き最終バスにて札幌へ。
22:10 無事家に到着、家のボイラーのメインスイッチを入れるが、ボイラー点火せずあちこちと見るが分からず、メーカーの緊急連絡先に電話するもダメ。熱燗を飲み、風呂にも入れず震えながら布団にもぐりこみ寝る、とどのつまり最後にアンラッキー。
翌日になり、妻が(今回オールトラリアに同行した)近くの郵便局の2〜3段の階段で足を踏み外し、ひねった拍子に足を亀裂骨折、昨日に増すことのアンラッキーで最悪、でも考えてみるとなんぼ海外旅行保険に入っていたとはいえ旅先での事故だったら大変、こんなことじゃすまないよね、気をつけなくっちゃ。
※ 以上の他、ツアーのバス車中で聞いたことやパンフレットに書いてあったことをまとめてみる。
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日本とオ−ストラリアを比べると国の面積は約20倍、人口は1/6で1Kuあたりの人口はオーストラリア2人、日本は330人
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オーストラリアに最初に移住したのは1,788年英国の植民地を作るため736人の囚人を含む1,500人の英海軍であった。その後も英国の囚人が島流しとして80年間にわたり送られて来た人々が住み着いたものである(勿論オーストラリアには5〜6万年前からアボリジニ人が住んでいたのだが、英国が移住してから100年で当時30万人以上の人が、虐殺されたりし7万人まで激減したという。
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オーストラリア人には身分階級が無いように見えるが、英国からの移住が多いことから住む家の地域格差は歴然としている。又国民総所得の43.7%を最裕福層の20%が得ており最下層の20%は全体のわずか4.4%しか得ていないようである。
これはこの国には、実質的に相続税と贈与税が無いといったことも大きな要因である。
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オーストラリアは1,880年代メルボルンに近いバララットで金が発掘されゴールドラッシュが起こり羊毛とともに経済の発展が最高になった、がこの時期を境に現在は経済収支が悪化の一途をたどっている。
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このように一時期世界一の生活水準を経験したことから、働くことより余暇やレジャー・スポーツにエネルギーを集中するライフスタイルを身につけてしまったようである。
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メルボルン320万人・シドニー370万人と現在はシドニーの人口が上回っているが、メルボルン近郊で金が発掘された時にはメルボルンがオーストラリア最大の都市であり首都でもあった、その後古い歴史のあるシドニーと両都市が張り合っていたが、喧嘩両成敗で1927年その中間にあるキャンベラが首都となり現在に至っている
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オーストラリアの白豪主義はゴールドラッシュから中国人の大量流入に脅威を感じ中国人を締め出す法律が制定され、日本人などの有色人種にも拡大解釈されていった。
その後1,975年のサイゴン陥落をきっかけにして1978年頃から中国系ベトナム難民の受け入れを積極的にするなど、実質的に白豪主義を廃棄しアジア諸国等との経済促進に寄与するなどの政策変更を行っている。
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日本は現在オーストラリア貿易最大のパートナーである(日本への輸出25%、輸入18%)特に目立つのは日本車の多いこと、車だけを見ているとオーストラリアも右ハンドルと言うこともあって日本にいるような錯覚さえ起きる。但し価格は日本の1.5倍ぐらい(三菱パジェロは700〜1,000万円との事)、そのせいか多くの人々は走行距離20万Km年式が20〜30年ぐらい前の車を平気で乗り回している(車検制度はなし)
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オーストラリアは「南半球一」という言葉が好きでオーストラリアの多くのものが南半球一になってしまう。
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この国の動物の特徴は「有袋類」(コアラ・カンガルー・ウォンバット・タスマニアデビル等)と「夜行性」(コアラ・カンガルー・ボッサム等)であり夜行性の原因は国の中央が夏季50度の酷暑に見舞われるため昼間は眠っていて夜活動する動物が多くなったようである。
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現在規制はやや厳しくなったとはいえアメリカ同様基本的には誰でも銃を買うことができる。
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オーストラリアはギャンブラーの国、勿論各都市にスロットルマシーン・カジノ等の賭博場があるのは言うまでも無く競馬場・トラッティングレース・ドッグレース・宝くじなど等の他、とにかく何にでも賭ける癖があり一人当たりにして世界で最も掛け金をかけている国のようである。この国の賭けの原点は「ツーアップ」という二枚のコインを投げ上げその裏表で競うばくち。(いかにもイギリスの囚人送還から始まったとゆうこの国の歴史を垣間見る事例なのかも知れない)
・ オーストラリアは世界の中でも治安がよいということになっているが、高級住宅に住む大方の人達は、家に警備会社直結のセキュリティシステムを備えているという。又道路が広いため有料の路上駐車が可能となっているが、駐車している多くの車には日本ではオートバックスでしか見たことのない、長さ60cmぐらいのパイプでハンドルを固定する盗難防止器具をつけていた。
− 以上 −
2003.5.5
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